翌4日には、新政府軍との会談に決裂した越後長岡藩が加盟、6日には新発田藩等の北越同盟加盟5藩が加入し、計31藩による奥羽越列藩同盟が成立した。
当時、(国後島、択捉島などの北方四島を含む)北海道は、函館周辺を支配する松前藩を除けば、仙台藩、会津藩、庄内藩、盛岡藩、久保田藩、弘前藩の支配下に置かれていた。特に、仙台藩、会津藩、米沢藩は北海道に広大な領地と警衛地を有し、この三藩だけで北海道の約3分の2を支配していた。そのため、奥羽越列藩同盟(北部政府)の領土は、東北地方、北海道、新潟、すなわち日本列島の約半分に及んだ。
副総督沢為量率いる新政府軍は庄内討伐のため秋田に滞在しており、世良が暗殺された後は、九条は仙台藩において軟禁状態になっていた。5月1日、松島に新政府軍の佐賀藩、小倉藩の兵が上陸し、九条の護衛のため仙台城下に入った。九条は、奥羽諸藩の実情を報告するために副総督沢と合流して上京する旨を仙台藩側に伝えた。翌15日列藩会議が開かれてこの問題が討議され、九条の解放に反対する意見も出たが、結局九条の転陣が内定し、18日仙台を発って盛岡に向かった。
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奥羽越列藩同盟のそもそもの目的は『救会・救庄』による戦闘の回避であった。しかしながら、嘆願の拒絶により戦闘が不可避な状況となるにつれて、奥羽越列藩同盟は軍事同盟の性格を強めるとともに、「北部政権」の樹立へ進んでいくことになる。
このための機関として、白石城内には奥羽越公議府(公議所とも)が設けられ、諸藩から派遣された参謀による評議が行われた。