最新建築技術と火力を用い、峻険な地形を活用した構造となっている。
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108の主要塞を15kmの間隔で配置、連絡通路として地下鉄を通している。戦艦に準じた構造の火砲や射撃装置を配置、前方には対戦車用に配置された鉄骨と対歩兵用の鉄条網地帯を設けている。厚さ350cm以上のコンクリートで防御され、発電室や武器弾薬庫は全て数十mの地下に建造、更に各区画は装甲鉄扉で区分された。
マジノ線構想の戦略上の問題として、以下の点が指摘されている。
国境一帯を網羅した防御体制を展開するために、常に大量の兵力を配備せねばならなかった。
中立国ベルギーを刺激するのを避けるため、また資金不足のため、対ベルギー国境は後回しになり、第二次世界大戦開戦時には構築されていなかった(第一次世界大戦時にもドイツはベルギー経由でフランスに侵攻しようとした)。
膨大な建設費や維持費が軍事予算を圧迫し、他部門(新型の戦車や戦闘機などの調達)に資金を充てる事が困難になった。
「マジノ線の防御は鉄壁である」との過度の期待のため、また上述の通りマジノ線に大軍を投入したため、機動力を軽視する結果に陥った。
ドイツ軍がアルデンヌを突破した後、マジノ線守備隊は直接ドイツ軍と戦う部隊の増援にもドイツへ逆侵攻を行ってドイツ軍部隊への補給を寸断することも出来ず、戦略的、戦術的に殆ど存在意義の無い「遊兵」と化してしまった。
巨費を投じて築造されたにも拘らずドイツ軍の侵攻を許した事から、「無用の長物」の代名詞として引き合いに出される事が多いが、正面からの攻撃に対しては一定の効果があった。その事は、ドイツ軍が主にマジノ線の間隙を衝くルートで進撃した事からも窺える。
また、対ベルギー国境に強固な要塞群が築かれなかったのは予算不足でも隣国に対する配慮でもなく、来るべき次の戦争において、ドイツ軍に正面攻撃を躊躇わせ、先の大戦同様ベルギーを通るように仕向けるための高等戦略であったとする説もある。ただし意図的に弱点を残したとする解釈もある[1]。
なお、一般にマジノ線の膨大な建設費がフランス軍の近代化を圧迫したとの見方が強いが、実際にはこの時期において軍事費に関する限り、予算不足は存在しなかったに等しい。
竣工直前の数年間、フランス陸軍は計上された軍事予算中47%を消費しなかった。ドイツ再軍備宣言の翌年、政府から軍拡四カ年計画を求められたガムラン大将は90億フランを計上し、これに政府と議会が上方修正を加え総計200億フラン近い予算が承認されている。
この計画は1938年と計画最終年にあたる1939年にさらに約100億フランずつを増額されたが、戦争開始直前においても軍はこれを完全に消費していなかった。
また、軍は第一次世界大戦型の塹壕戦に必要としない装備を調達しようとはしなかった。一例を挙げれば、1940年5月までに生産されたルノー R35戦車約五百両の半ばは外国への輸出用であり、前線部隊に不足していた25mm対戦車砲や各種の対空砲も専ら輸出に回されていた事実も忘れてはならない。